②浪花のリースリング王子が語る!今、私たちがドイツワインを学ぶべき理由

 

ヘレンベルガー・ホーフ株式会社山野高弘氏監修

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「甘口で安価なワイン」というイメージから脱却し、近年大躍進を遂げたドイツワイン。

 

その背景には、革命を成功させた立役者がいました。第2回の本日は現代ドイツワインの礎を築いた“伝説のスター生産者”の素顔と、山野さんとのエピソードをご紹介します!

 

 

シリーズ第1回から読む

 

 

ラインガウの伝説的生産者“鋼の男”ベルンハルト・ブロイヤーさん。1980年代後半、新しいドイツワインの礎を作った。2004年、57才でその短すぎる生涯を終えた。

 

◆現代ドイツワインの基礎を築いた立役者

 

ー新時代のドイツワインを築いた生産者たちですが、 この人だけは外せないという人物はいますか?

 

山野:それは間違いなく、ラインガウ地方の生産者ベルンハルト・ブロイヤーさんです。1980年代甘口がドイツワインを席巻していた頃、まだ30代前半だった彼が、「辛口の食中酒」「伝統品種の尊重」「畑の選別」という現代なら当たり前のことを敢然と打ち出しました。

 

彼は、従来の果実糖度による格付けではなく、独自の品質の格付けを作りました。まずそれまで収穫した年も何も関係なかったのを、収穫年をきちっと絞って、さらに良い土地・良い畑でブドウを作ろうということになった。

世界で栽培されるリースリングのうち、40%がドイツ産。

 

ブドウ品種はもちろん伝統品種のリースリングです。やっぱり、ラインガウはリースリングなんですね。ドイツのワイン生産地のわずか3%の面積しかありませんが、ラインガウでは何百年もその名を轟かせています。この伝統品種を、ブロイヤーさんは守ろうと決めたんです。

 

さて格付けですが、まず、ブロイヤーさんは自分とこのワインの品質を4つのカテゴリーに分けました。一番下が「ソバージュ」。これはラインガウ全域のブドウのブレンドです。次に村名入りの「ラウエンタール・エステート」。これはブロイヤー醸造所のあるラウエンタール村のブドウのみ使用。次が「テラ・モントーサ」。ブロイヤーさん所有の4つのグランクリュのブレンドです。そして、最上級が「ベルク・シュロスベルク」です。これは単一のグランクリュ畑から収穫した、最上級のブドウで造られたワイン数樽のみを瓶詰めしたものです。

 

テキストより抜粋

 

 

 

テキストより抜粋

 

 

 

 

 

味のスタイルも思い切って辛口ドライにしました。

 

この格付けは現代ドイツワインの礎となりました。例えば現在、国の法律とは別に、VDP(ドイツ・プレディカーツワイン醸造所連盟)が定めている独自の品質基準に最上級の「グローセ・ラーゲ(最上区画)」というのがあります。その中でも辛口のものは「グローセス・ゲヴェックス」っていうんですが、これはブロイヤーさんが作った格付けが元になっているんですよ。

 

でも、今でこそこうして定着していますが、最初は総スカンを食らったみたいですよ。甘いのがいっぱい売れてるのになんでそんな事言うんだ、いいじゃん、売れてたんだから、と。

 

でも、ぬるま湯に浸かったカエルが少しずつ温度が上がっても気づかなくて死んでいく例え話のように、そんなに苦労もせんと売れ続けてると飽きられているのにも気づかなくなってしまう。ブロイヤーさんは、そんな時に危機感を抱いて声を挙げた人です。

 

山野さんが働いたブロイヤー醸造所

 

 

◆山野青年、ついに“鋼の男”と出会う

 

ー山野さんは、ひょんなことからブロイヤー醸造所で働くことになりましたよね。一体どういうきっかけだったんですか?

 

山野:僕は、全くの未経験から家業であるワイン業界に飛び込みました。輸入時計のセールスマンからの転身だったんですが、最初はもう全然売れなくて。どうしても結果を出したくて、「ドイツに行かせてくれ!」って親父に頼みこみました。

 

最初はドイツ語もわからない状況で、バーデン地方のフーバー醸造所で2年働きました。でも全然ダメで、親父は痺れ切らして「はよ帰ってこい!」。でも僕は「イヤだ帰らない!」(笑)。焦りの中でひねり出した結果が「リースリングの造り手のところで勉強したい」ということでした。というのも、当時未熟ながらも、リースリングは偉大な品種と認めなきゃいけないものだということだけはわかっていたんですね。

 

ブロイヤー醸造所のセラー

 

3本買ってきて、ブラインドテイスティングして一番好きなワイナリーに行こうと決めました。

 

すんなりこれが一番と思ったのがブロイヤーさんのワインでした。その場で電話したらあっさり「すぐこいよ。部屋も用意してやるよ」と。そんで、荷物まとめて次の日には出発しました。

 

でも実は、ベルンハルト・ブロイヤーさんにはそれ以前に出会っているんです。

 

2000年の夏、リューデスハイムのワイン祭りでブロイヤー醸造所を訪れると、ベルンハルトさんが一人で立っていました。背は低いのに眼光が鋭く、存在感があってとても目立っていました。僕はその時、彼のドイツ語が何もわからない状態でしたが、只者ではない気配に圧倒されましたね。自らが目指すワイン造りへの鋼のような意志をひしひしと感じました。

 

その後、ブロイヤー醸造所で働いたのは帰国までの半年間でしたが、僕のワイン人生がそこに詰まっているというくらいまぁ〜濃密な日々でしたね。

 

生涯の師ヘァマン・シュモーランツさん(左)と

 

◆身元を隠し“怪しい東洋人”として醸造所へ

 

ーブロイヤー醸造所での濃密な日々のエピソードは何度聞いても面白いです。

 

山野:ブロイヤーさんのところには、自分が輸入元の息子であることを隠して“ただの怪しい東洋人”として行ったんです。2003年の猛暑の時、西日の当たるあっつい屋根裏部屋にポンっと入れられてね。ポーランドの人たちとか、出稼ぎの人が30人ぐらい常時いました。この人らと急斜面で芽かきっていう、いらない新芽を手で取るっていう作業をやってたんですよね。

 

その時、僕にはライバルが何人かいました。ちょうど醸造チームで人手が足りなくて、もう一人入れようという話があって。メンバーは17才の男の子と、東ドイツの素行悪い兄ちゃんと僕。

 

ブロイヤー醸造所所有の急斜面の畑。ここで山野さんは猛烈に働く。

 

そこからはもう、死に物狂いで働きました。「どうですか、僕使える男なんです!」みたいなアピール散々したら「じゃあ、お前一緒にやるか」と言ってもらえたんですよ。

 

そこからパーっと道が開けましたね。ちょうど前年の2002年ヴィンテージワインの澱引きをやらせてもらえて。それが感動的でね。

 

ワインて危ないじゃないですか失敗したら一年の苦労がパーじゃないですか。葉っぱ切るのとはわけが違う。それなのに、こんなぽっと出の若者に作業工程表くれて。きれいに洗った木樽に豚のラードをバーっと塗ったり、こんなことやらせてもらっていいんですか?っていうくらい何から何までみんなやらせてくれました。

 

醸造長のヘァマン・シュモーランツさんは、そんな中で僕に全てを教えてくれたお師匠さんです。いつも冗談しか言わないような人でしたけど、核になる仕事の時には後ろからちゃんと見てはって「大丈夫か?」といつも声をかけてくれました。

 

2018年の再会

 

ヘァマンさんの口癖に「Ins Eis springen(氷に飛び込め)」という言葉があります。これは、ちょっと無理そうな目標を設定し思い切って任せる。最初は冷たかった氷もいずれ慣れるのと同様、身についてくるというものです。

 

こうして製造の全てに関わらせてもらうことによって、ドイツワインという存在が好きとか嫌いとかを通り越した僕の一部になりました。全部見たので、これがうまいだとかまずいだとか酸っぱいだとか甘いだとか言えなくなったんです

 

ー実際にお話を聞いていると、これまで謎めいていたドイツワインのことが身近に感じられますね。 次回、最終回は格付けに次いで“難所”である土壌の話と、山野さんイチオシの「今飲むべきドイツワイン」を聞かせてください。

 

山野:ありがとうございます。がんばって喋ります(笑)!

 

◆次回更新は4/3(金)!最終回は“ドイツワインの難所”である土壌の話と、山野さんイチオシワインのご紹介です。

 

 

〜山野高弘さんプロフィール〜

ヘレンベルガー・ホーフ(株) 代表取締役社長。バーデンのフーバー醸造所、ラインガウのブロイヤー醸造所での研修を経て帰国。Riesling Fellow(ドイツワインの公的な広報機関 wines of germany 公認。アジア初、受賞時世界で16名のみ)アカデミー・デュ・ヴァン東京校、大阪校講師。

 

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