①浪花のリースリング王子が語る!今、私たちがドイツワインを学ぶべき理由

 

 

ヘレンベルガー・ホーフ株式会社山野高弘氏監修

「ドイツワイン通信講座」はこちら

 

 

日本では、フランスワインやイタリアワインに比べドイツワインはまだまだマイナーな存在。

 

「甘口で安価なワイン」というイメージを持っている方も少なくありません。

 

しかし今、ドイツワインがワインラヴァー達の大きな関心を集めています。

 

その理由は、ドイツワインが近年ドラマティックに変革し、もはや欠かせないジャンルのひとつとなったため

 

ワイン造りに歴史のある国々の中で、これほど劇的な変化を起こした国は他にはないのだとか。しかしまだまだ、その面白さは一部のファンに伝わるのみとなっています。

 

ヴィーノハヤシではドイツワイン界にこの人あり、“浪花のリースリング王子”こと山野高弘さんとタッグを組み、新しいドイツワインを学び楽しむ通信講座「ドイツワイン通信講座」を開講しております。

 

今回は、改めてそんな山野高弘さんに“今”ドイツワインを学ぶ意味についてインタビューしました。

 

第一回めの今日は、そもそもなぜ「ドイツワインは甘口の安価なワインばかり」と誤解されるようになったのか、『ドイツワインの凋落と再生』のストーリーについて語っていただきました。

 

 

第12回の入稿を終えて、ほっとひと息の山野さん

 

 

◆かつて甘口ワインを造るのは危険行為だった

 

ードイツワインというと、まだまだ日本では「甘口リースリングばかり」という印象をお持ちの方もまだ多くいらっしゃいます。なぜそうなっていったか、背景をお教えいただけますでしょうか。

 

山野:ではまず、ドイツで甘口ワインが造られていった経緯からお話ししましょうか。誤解を持たれている方が多いのですが、そもそもドイツでは甘口ワインばかり造られていたわけではなく、戦前(1945年以前)まではドライなものが主流だったんです。

 

当時は酵母フィルターがなかったり、綺麗な瓶に詰めることすら難しかったので、甘口ワインをボトリングするのは非常にリスキーな、危険行為でした。

 

酵母の餌だらけの甘い液体を、汚いボトルに酵母と一緒に入れたら瓶内二次発酵して爆発しちゃうんで。

 

では昔、どうやってワインを造っていたのかというと、綺麗な健全なブドウを収穫して、絞って大きな木樽に入れて酵母と一緒にずっと静置する。

 

ぽこりとも言わなくなるのを一年も二年も待って、辛口のドライに仕上げたものをボトリングして出す、と。

 

だから歴史上ほぼ全部辛かったんじゃないか、という資料もあるぐらいです。

 

ーでも、そこから「ドイツワインといえば甘口」という時代に突入していきますね?

 

山野:今から4〜500年ぐらい前ですが、ラインガウやモーゼルの白がボルドーやブルゴーニュと並んで、同等かそれ以上の価格で扱われていた黄金時代というのがありました。

 

でもその後、ドイツは戦争に負けたんでね。戦後、リースリングとか、ピノ・ノワールとかの高級ブドウ品種の栽培を止める潮流が生じたんです。

 

晩熟で10月とか11月とか収穫を待って、ゆっくり樽で寝かしてっていうのがもう経済的にしんどい、やめましよう、と。

 

もっとジルヴァーナーとかポルトギーザーとか、早く簡単にボトリングできるものをたくさん作りましょう、ということになった。

 

それにさらに拍車をかけたのが、1970年のドイツワイン法改正です。

 

 

テキストより抜粋

 

◆ドイツワイン最大の難所!ややこしい格付け

 

ーご存知の方も多いと思うんですが、どういった法律なのか簡単に解説していただけますか?

 

山野:はい。これは簡単に言うと「果汁の糖度による格付け」です。

 

プレスした果汁が水と比べてどれくらい重いのかという比重計なんですけど、その糖度さえ高ければ高い格付けになるんだという法律です。

 

でもややこしいのは、それが原料の濃さを表す指標ということです。

 

カビネットとかシュペートレーゼというのは、原料の濃さを表す指標であって、最終的なワインの甘い辛いを示す指標ではないんですよね。

 

どうしても、等級がそのままワインの甘さを表すと思ってしまいがちですが、輸出するときに、等級の説明をするのがめんどくさかったからそのままにした〜いう感も否めませんね(笑)。

 

あとやっぱり、世界各国のワインファンに当時甘口が受けて飛ぶように売れたんです。

 

じゃあ生産者もフルーティーなやつ作っちゃえということでミュラー・トゥルガウとかケルナーとかショイレーベとかをどんどん作りました。

 

糖度も上がるし、収穫量は高いし、収穫は早いし、クリスマスまでに瓶詰めが終わるから、それ以降は休暇を取るか兼業で他の仕事やるっていうことができるようになったんですね。

 

ーいいことづくめのように思えますね。ここから、どんなデメリットが生まれていくのでしょうか。

 

 

ラインガウの伝説的生産者“鋼の男”ベルンハルト・ブロイヤーさん。1980年台後半、新しいドイツワインの礎を作った。

 

 

◆甘口ばかり、大量生産・・。若い生産者たちの逆襲ストーリー

 

山野:生産者にとっては、それらは夢のようなブドウ品種です。でも、やっぱり味わいに深みは出なかった。やがて、80年代に大きな転機が訪れました。

 

80年代の交配品種バブルが崩壊して、当時20代、30代だった若い生産者たちが海外に出ていった時、「甘いワインほど高い」と思われていることに違和感を持ったんですね。

 

それはおかしいと。

 

もっと、伝統品種と土地に重きを置かないなんてワインではないと思うようになった。

 

そのころには、ドイツワインは糖度だけで判断されて、品種もヴィンテージも何でもいいみたいなことになってましたから。

 

いや、そうではなく、伝統品種で限られた土地で良いものを造れば、良いワインになるんだよ、と。

 

 

そこで、昔ながらの手法に戻しましょうという原点回帰当時20代、30代だった若い生産者から起こりました。

 

僕がお世話になったベルンハルト・ブロイヤーさんもその一人です。

 

まあ、最初は異端だと言われましたけど10年、20年の時を経て90年代の後半から完全に認知されてきました。

 

「ドイツワインが良いもの」だというのは、 まず、アメリカとか北欧中心に火がついていきました。続いて、ドイツ国内でも浸透していって。

 

今ドイツワインをネガティブに思う人は、ヨーロッパではそんなにいないんじゃないかと思えるくらいです。さらに、品質が高くなっているのに値段が変わっていないんですね。

 

フランスでは10年で倍くらいの値段になっていくワインがザラにある中で、ずっと値段が安定して変動もせず、クオリティーも良いものが多いんです。

 

 

ーそれは一体なぜなんですか?

 

 

山野:まあ、良心もあるんでしょうね。職人堅気もあるでしょうし。あと、商売を長いスパンで見てますので、信頼関係が命なんですよ

 

不遇時代から支えてもらってるお客さんもいる中で、値段をあげれへんと。家族でずっと何代も続けて、ちっちゃいワイナリーがほとんどですから。

 

ドカンと売って、「今までのお客さんの分のワインありません」とか言ったら、村で生きていけませんからね。

 

向こうの方々は「誰に支えられて商いが成り立っているのか」っていうのをきっちり理解してやってはります。

 

ー何だか、ドイツ人の気質を垣間見たような気がしました。次回は、もう少し「ドイツワイン生産者の素顔」についてお聞かせいただいてよろしいでしょうか?

 

山野:もちろんです!

 

◆次回更新は3/25(水)予定!いよいよ、山野さんの現地でのお話、生産者とのエピソードに迫ります。

 

 

 

〜山野高弘さんプロフィール〜

ヘレンベルガー・ホーフ(株) 代表取締役社長。バーデンのフーバー醸造所、ラインガウのブロイヤー醸造所での研修を経て帰国。Riesling Fellow(ドイツワインの公的な広報機関 wines of germany 公認。アジア初、受賞時世界で16名のみ)アカデミー・デュ・ヴァン東京校、大阪校講師。

 

 

リースリング収穫中の山野さん

 

山野高弘さんてどんな人?「フットワークの軽さは現地醸造所で培ったもの」

 

ヘレンベルガー・ホーフ株式会社自社倉庫で行われる試飲会「ハウスメッセ」は、知る人ぞ知る同社の名物イベント。

 

全国津々浦々より“ヘレンベルガー・ホーフファン”、 “ドイツワイン・ファン”が駆けつけます。その中で、一際フットワーク軽く会場を飛び回っていたのが山野さんでした。

 

ジーンズにエプロン姿の山野さんが、棚からひょいひょいとワインをピックアップしながら移動する姿はとても印象的でした。そして、「ああ、この人はきっと醸造所でもこんな風に働いていたんだな」と想像しました。

 

実際現地滞在中でも、朝夕がむしゃらに働き、ドイツ・ラインガウにこの人ありといわれる“名醸造長”ヘァマン・シュモーランツさんの信頼を勝ち得たのだと言います。

 

 

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